篠路と藍

篠路の藍栽培の歴史

 明治15年、徳島県出身の滝本五郎という人物が17人の一団を率いて、アメリカ式の大規模農場を作ろうと篠路村(現在の篠路・拓北・あいの里地区)に入植してきました。まだ荒地だった土地を開墾し、大豆や小豆、そばやトウモロコシ、そして徳島県の特産物である藍の栽培を始めました。篠路では藍の肥料となる鰊粕(にしんかす)が豊富に手に入れられたため、藍の栽培地として適していたのです。
 栽培された藍は、藍染の原料となる「蒅(すくも)」に加工し、藍玉と呼ばれる丸い形に突き固めて、全国に販売されました。明治23年には、この藍玉が内国勧業博覧会という国内の博覧会でその品質を認められ、一等有功賞を受賞したことから、 篠路藍は開拓初期の北海道産業の希望となりました。

 しかし明治中期になると、外国から大量に安価な藍や化学染料が輸入され、国内の藍栽培は急速に衰退することになります。
篠路藍もまたその影響を受け、栽培を始めてからわずか14年でその姿を消してしまいました。

滝本五郎

画像出典:ノースウィング 2009年3月16号 p.37

篠路の藍の現在

 滝本五郎が興した「興産社」という社名が町内会名や踏切の名前として使われていたり、あいの里という地名や英藍(えいあい)高校など、かつてこの土地に藍の文化があったことが示される痕跡がいくつも残されています。
 また、さまざまな催しを通して、篠路の藍の文化と歴史を伝承する活動が行われています。昭和60年に開設された篠路コミュニティセンターでは藍染室や藍染の展示コーナーが設けられ、毎年天然藍染体験講座を開講しています。一般社団法人まちづくり篠路が主催したお祭りでは、「篠路ブルーエール」という藍を使用したクラフトビールが販売されたり、藍の生葉染め体験イベントが開催されました。

TOPへ